「超運ダイアリー2020」6月のところにひっそり生息しています(と、日記に関するとりとめもない思い出)
ザッパラス様が発行なさっている「超運ダイアリー2020」に参加させていただきました。2020年盤の6月のところに小さ〜く生息していますので、ご購入された方はぜひ探してみていただけたらと思います。
ご紹介だけでは淋しいので私と手帳について。ってまあ淋しいのは私だけが感じる思いです。さらにいえば、私が手帳について語っても特に教訓めいたものはゼロなわけですが、村上春樹経由のサマセット・モームが言うところには「どんな髭剃りにも哲学はある」ということでちょっと書いてみたいと思います。
手帳はもともとモレスキンのものをずっと使っていたのですが、独立したときに卓上カレンダータイプにしたのでした。会議やMTGの機会が激減したので、締切とたまの打ち合わせさえ書けばよくなったからです。しかし本棚16本におさまりきらない本が山積みになった魔窟で頻繁に姿を消すのです。まあきれいに書いていますがしょっちゅうなくなるわけえして、いつでも締切が見えて便利だけれどこれはいかんと思ってGoogleカレンダーにしたのでした。アシスタントとも予定を共有できるし。
日記的なものを書いていたのは占いの勉強をしていた頃。星の運行を毎日読んではノートに書くということを3年ほどやっていて、そこに日記も書き記していたのでした。星とどんなふうにリンクしているのか、もしくはしていないのか、検証してみたかったんですね。というか、先が見えない不安がちょっとでもどうにかなるのか、必死だったんだと思います。そんなこんなで30冊くらい書いたでしょうか、先日の引っ越しでそのノートが出てきて仰天したのですが、頑張っていたんだなあ。。。と感慨深くなりました。当時の恋人の仕事が終わるのを待ちながら、カフェでちまちま綴っていたことを思い出します。私は彼が大好きでずっと一緒に生きていたくて、そのためならなんでもしたいと思っていて、でも彼はそうじゃなかった。それは、薄々わかっていたのですけれども。いえ、薄々なんてきれいに書かなくても、多分わかっていました。ないんだろなって。それでも、希望をつなぎたかったんです。
わかっていても――閉店間際のうすぐらいカフェのちいさなちいさなテーブルで、煮詰まったような味のコーヒーを飲みながら、私は星を読んでは日記を書き続けたのでした。あの侘しさというものは、たぶん一生忘れないでしょう。というか、今もたびたび思い出します。すがるような気持ちを。苦いだけの、コーヒーの味を。
結局、離れたのは私のほうでした。そしてプロになって、カレンダーはGoogleカレンダーで、日記はどこか避けるようにして今まで来ました。ただ今になって、また日記をつけたい気持ちがモリモリと湧いてきています。毎日一歩一歩大事に歩んでいるつもりで、過ぎた日は怒涛のように過去に向かって押し流されていく。そして「幸せな日もあった」という事実に、辛かった思い出のほうが勝って感じられたりすることが、長く生きていてわかったから。
忘れるぐらいの記憶なら、いらないのかもしれません。それでも、手のひらからどんどんこぼれ落ちていく日常の思い出を、今はひとつひとつ拾い上げて大切にとっておきたいような、そんな自分もいるのでした。
2020年上半期の運勢本、発売されました。幻冬舎plus様でも、かなりの分量をご覧いただけます。